がーる・いん・ぶるー

よくあるお話

2024年3月11日、午前3時46分

金曜の夜、喉風邪が治らないから自室で映画を見ていた。

 

韓国でヒットした10年前のコメディ映画、夜の世界に身を落とした女性と旧友が再会するシーンがあった。長年行方が分からなかったそのオンナは、場末の酒場で痛々しく笑い、ざんばらな髪を振り乱し、下品に安酒をあおった。旧友たちはいかにも親切そうに真っ直ぐな瞳で更生を促し、怒り、彼女を説き伏せる。その娼婦は堰を切ったように泣き出す。子供に会いたい、こんな仕事は辞めたいとわめく。足を洗いたいならこんな世界早くやめなと思いながら、搾菜をつまみ、ぬるいノンアルコールビールを流し込んだ。案の定エンディングで彼女は小綺麗な見た目に世間体の良い仕事まで獲得し、大変身を遂げ、旧友たちも“元”娼婦も抱き合って喜んだ。大円団で映画は幕を降ろす。よくあるお話。

 

世の人の大半がこんな展開を望んでいる、なぜなのかは分からない。幸せの形が身知ったありきたりな形じゃないと不安になるんだろうか?定型の、健常な、社会的に後ろ指さされない、そういう種類のしあわせを目指す。ある種の宗教みたいなものだろうか。

 

「早く貯金してこんな仕事やめな、君なら結婚でも仕事でも上手くいくよ」と、出したばかりの客が煙草をくゆらせながら言う。私は体を寄せながらそれっぽい表情で「本当にね、〇〇さんのお金が無駄にならないよう頑張る、いつもありがとう」と、腕に顔をうずめる。お客たちは自分の使ったカネが社会的に有意義な方向に流れるのを望んでいるし、そこまでがプレイの一環なんだろう。気持ちよく射精するために必要な儀式なんだろう。私がもし「夜の世界にいても十分に幸せですよ」なんて言ったら、彼らの幸せの定義は崩れ、信仰がゆらぎ、目指すべき場所が分からなくなるのかもしれない。大枚はたいてそんな仕打ちは可哀想だから、疲れた心身を癒しに来店する客たちへのせめてもの誠意として「早く辞められるように頑張るね」と笑顔を作る。

 

どこに向かうのか分からない小さな船に私ひとり。舵は壊れもうずいぶん経つが、モーターはまだ動いてる。風に煽られ、海水もかぶるし、食料もそろそろ危ういが、星空も、水面に反射する夕日も、遠くに聞こえる海鳥の声も、ぜんぶ私だけのもの、私だけの景色、私だけの人生。

 

 

おまえにわたしのなにがわかる?ここからみえるものの美しさ、おまえにせつめいしてりかいできるのか?

 

 

波の音が聞こえる
波の音が聞こえる